おじさんテレビに出すぎだよ!

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2歳の男の子を探し当て、一躍有名人となったおじさん。

あんなにテレビに出まくるとは、少しがっかりした。

東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨災害、そして今回の幼児捜索のボランティア活動。

20万キロも走っているオンボロ軽自動車で被災地へ行き、人の為に活動する。

もう30年以上はしているようなことを言っていた。

「今まで人に良くしてもらってきたので、今度は恩返しのつもりで活動している」と言っていた。

国民年金での活動は大変ではとの問いに、「お金はいるだけあったらいいです。余分はいらないです」と言っていた。

素晴らしい。ここまで聞いていたら宮沢賢治の「雨にも負けず」を思い出した。


しかし、テレビに出すぎだなと思った。

きっと目立ちたがりなのだろう。

それはそれでいいが、欲を言えば子供を母親に渡した後、名前も告げずにそっと風のように立ち去った方がかっこよかったような気がする。

マスコミには出ないようにしてね。



「ミンナニ デクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノ二ワタシハナリタイ」






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働いていた時にあった嫌な事を思い出してしまった。

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中小企業で働いていた時にあった事。


会議で社長の提案について何か意見はないかと聞かれた時。

誰も意見を言わなかったので、発言したらその後社長から目をつけられてしまった。

ーーー> 会議の場で自分の考えなんて言ってはいけない。特に中小企業では。



社長からハンコをもって社長室に来いと言われたので行ってみると、生命保険の契約書を見せられハンコを押すように言われた。

全社員が押しざるを得なかったので従った。

ーーー> その保険はもし仕事中に死亡することがあった時、社長に保険金2千万円が入る保険だった。今考えると恐ろしいが、それを拒否できる者は誰もいなかった。

その後すぐにその会社を辞めた。



社員で社長の太鼓持ちがいて、いつも社長の言う事をほめちぎっていた奴がいた。
みんなからは嫌われていたが、社長からはえこひいきされていた。

ーーー> だが自分が辞めた2年後にその会社が潰れて、その後そいつは職に就けず田舎へ帰って行った。



10人もいない会社なのに、財布を取られるという窃盗事件がおきた。

今までに何回かあったそうだが、ロッカーにはカギがついていなかった。

ーーー> その後、みんなが泥棒に見えてきてしまった。働き始めて1か月もしなかったのに。



入社した当時緊張して大人しくしていたら、優しく声をかけてくれた人がいて「分からないことがあったら聞いて」と言ってくれたので聞きに行った。

ーーー> そうしたら「そんな事も分からないの」と言われた。まだ1日目だったのに。その後、そいつには近づかない事を誓った。
一つ学んだことは、初対面でニコニコ近づいてくる奴に碌な奴がいない。

その件では、他の会社でも初対面で近づいて来た奴にマルチ商法やなんかの宗教やセミナーの勧誘を受けたことがあったが、すべて断った。



他にもいろいろあったので、また書くことにしよう。

それにしても今まで働いてきた会社で、必ず嫌な奴がいた。

まともな奴は少なかった。

誰もが思う事ではないだろうか?



また嫌な事を思い出しそうなので、今日はこれくらいにしておこう。











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働きたくない 2

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何とか元の体調に戻ったようだ。

心臓の拍動も正常になり、力強く動いている。

昨日の続きだが、最初に働いたのは遊園地だった。その遊園地は今はもうない。

高校1年の時から二十歳まで休みの日はアルバイトをした。日給が確か4000円だったと思う。親からは小遣いがもらえず、ノートやシャーペン、参考書など買うために働いた。

仕事は単純で遊具の準備や調整から発券機のセット、そして遊具の乗り方をお客に説明したりといろいろだが、誰でもできる仕事だった。

とても楽で1日を楽しく過ごすことができた。あの頃は「仕事はそんなに大変じゃないんだな」なんて思っていた。

何も知らない頃で、その頃のアルバイトは今と違い、責任を取らされる事なんて全くなく、適当にやる事ができた時代だったから、そう感じたのだと思う。

今ではアルバイトだって社員並みに責任を取らされ、ノルマさえあるのだから信じられない。

だが学生生活も終わり、就職してからの仕事はまったく違っていた。責任を押し付けられたり最低の部署へ配置転換されたりと地獄の日々が続いた。

その頃から仕事へ行く朝を迎えるとうんざりし始めた。なんでこんなに嫌な思いまでして仕事をしなければならないのかと思い始めた。
それでも5年、我慢して働いた。

そしてついに転職をした。今までとは違う職種で少しは興味がある仕事へ。
でもそこもたいして変わらなかった。それでもわずかな希望を抱いて資格を取り頑張っては見たものの、今度は人間関係でやめることになってしまった。
その職場は3年勤めた。

働きたくない理由は、単に仕事内容だけではなく、煩わしい人間関係もその一つなのだと経験した職場だった。

その時の年齢は28歳で転職できる職場も少なくなりかなり苦労した。やっと就職できた会社は中小企業で営業職だった。今までに経験したこともない営業職だったので、初めは嫌で嫌で仕方がなかったが、他に働ける職場もなかったので歯を食いしばるように働いていた。

だがルートセールスだったので、何回か訪問するうちに慣れていき廃業するまで15年も勤める事ができた。
それには理由があり、朝会社を出ると1日中一人で行動できるのが良かったからだ。
それでも仕事は嫌いだったので、サボる事ばかり考えていた。
よく公園や河原に車を停めてシートを倒して寝ていた。その時はいつもどうしたら働かなくていいかと考えていた。

結局はお金で、いくらあれば働かなくて済むかと、よく計算していた。

その額へは今も到達してはいない。

だが、少しは近ずく事はできたし体だって壊しているのだから、もうその額へのこだわりはない。

贅沢さえしなければ何とかなるのだったら、それで十分だ。

幸い物欲はない。贅沢もしたくない。長生きもしたいと思わない。

自分の頭の中で断捨離をすることができれば、この先何とか働かなくとも生活できるような気がする。

先の事は分からない。

でもこれからは嫌な事はしたくない。

楽をして暮らしていければ、それだけでいい。

ひっそりと静かに 生きていきたいと思っている。




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プロフィール

山空

Author:山空
会社が潰れて仕事を失い、ついでに株でお金も失い、そして大病を患い健康も失いました。

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