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はじかれ人の呟き

無職、独身、友達ナシ、低学歴、貧乏、障害アリ。社会からはじかれた男のブログ。

カテゴリー "山空とは" の記事

山空 半生の記 中学~専門学校編

東京近郊の田舎町で生まれた。
山に囲まれ川もいくつかある。
ちなみに東京駅までは電車で2時間はかかる。

小学校、中学校は地元。
中学への進学の時に初めて大きな格差を感じた。金があり知識のある親の子供はみな私立中学へ進学していた。その中に仲のいい奴がいて賢くて面白く、おもちゃもたくさん持っていたのでよく一緒に遊んでいたのだが、小学校を卒業すると東京の私立中学へ行ってしまいそれ以来会っていない。奴の家はデカかった。遊びに行くといつもおやつにケーキと紅茶が出てきた。その時もうちとは違うと思った。うちではおやつなどない、腹が減ればよその畑から栗や柿やスイカを盗んで食べていた。それらがない時は煮干しなど家にある物で飢えをしのいでいた。
その頃、町のはずれに飯場(土木作業員の家族の宿泊場)があり彼らは舗装工事などの作業で方々を渡り歩いている家族で、その子供がワルでケンカやかっぱらい(強盗)などをよくやっていた。何回か私もケンカを売られたことがあり、その時ノミでひざを切られた傷がまだ残っている。その後仕返ししてやった。夜暗い道で後ろから鉄パイプで思いっきり足を何回か殴ってやった。そいつは翌日足を引きずりながら学校へ来た。もちろん誰がやったかわからないようにタオルで顔を隠していたので、私がやったとは思っていないようだった。みんなから恨まれていたから分かるはずもない。
ある時上履きを取られ、親にそのことを言ったら「何故他の上履きをもってこないんだ」と怒られた。それでは盗みではないかと言ったら、また盗まれた奴は他の子の靴を盗めばみんな円くおさまるからいいと言われた。なぜかその時は納得してしまった。
その頃の家は4畳半二間で風呂場は親父が作り便所はぼっとん便所。町営の住宅で年収によって家賃が決まる。ちなみにうちは月3千円だった。

中学では兄が陸上部の長距離をやっていたので強制的に入部させられ、3年間長距離をやっていた。その頃私は太っていたので痩せるために気軽に始めてしまった。走るのは嫌いなのに。それに心臓も悪かったはずで走っていてかなり苦しさを感じていたが、皆同じ苦しみを感じながら走っているのだと思い込んでいた。たまにあまりの苦しさで気を失ったことがあった。
今考えればよく死なずに済んだものだと思う。それで高校へ進学したら絶対に運動部へは入部しまいと決心した。
中学校3年の時、親から就職をすすめられるがさすがに抵抗した。学年には90人ほどいたが中卒で就職する奴が2人ほどいたから、お前も就職しろと言われた。そいつらはいずれも成績が悪くて進学できない者達だった。
その頃父親の仕事があまりなかった。日雇いの土方をしていた。母親は工場でフルタイムのパート。その頃父親がよく言っていた「土方殺すにゃ刃物はいらぬ雨の3日も降ればいい」と。

なんとか説得して学費の安い公立高校へ進学した。偏差値50。高校を選ぶときは通学費が一番安い所を選んだ。その時自分より成績が悪かった奴が偏差値64の高校へ進学しやがった。あの時は悔しかった。奴は密かに学習塾へ通っていた。
高校進学にあたり奨学金を借りようとしたら両親が働いているとダメだと言われ借りられなかった。本当にそうだったのかと今更ながら疑問を感じる。両親が働いていても低収入なのに。そのせいで高校に入ってからアルバイトを毎日していた。その時働いていたスーパーの時給は450円。家にも高校1年の間はお金を入れていた。
夏休みなどの長い休みの時は、遊園地などの時給の高いところでアルバイトをして稼いでいた。ちなみに休み期間中はずっと働いていた。遊園地の時給550円。
その頃、ある物の開発をすることを思いついた。物を空輸できる機械。真冬の遊園地は寒く伝票などの書類をバイクで運んでいたから、もしラジコンヘリのような物があれば部屋の中から操作でき便利だと思った。
休み明けから開発し始め、設計図を書いた。物理の先生に相談などもした。できた形の物はプロペラ4枚の胴体が十字の機体。まさに今どこでも見る形のドローンだ。途中まではできたが飛ばした際のバランスが悪くてそこまでになってしまった。予算がなかったこともあった。今ではバランスを保つジャイロセンサーが開発されたので飛行が可能になっている。ドローンが世に出て来たときはとても悔しかった。高校の頃考えていた物とまったく同じだったから。あの時から開発を続けていれば良かったが、学費を稼ぐ事が優先でドローンの必要性はなくなっていた。

高校2年から卒業までは夜間のアルバイトをよくやった。
今考えるとあの頃高校生に夜間のアルバイトをさせてよかったのかと疑問を感じるが、私以外にもやっている者が何人かいたので、当時は当たり前となっていたような気がする。その頃やった仕事は清掃や警備やキャンプ場の準備などで時給は1000円だった。
特に良かったバイトは冬場のスケート場の整備のバイト。夜9時から翌朝6時までリンクに水をまき平らにならしていく作業で1時間~2時間ごとに作業を繰りかえす。時給2000円もらえた。2年間、冬休みには毎日やっていた。高校2年からは稼いだお金はすべて貯金していた。

高校3年になり進学か就職かで悩む。高校1年の時から物理が得意で先生から進学をすすめられたが、また親に反対された。世の中は高度成長期なのに親たちの仕事はあまり景気が良くなかった。父親は相変わらず日雇い。母親はパート。
大学へは働きながら行こうと思ったがどこも受からなかった。その時分かった事、偏差値50の高校で習う勉強だけでは大学受験の試験には受からない。試験問題には今まで見たこともない単語や方程式などが平気で出てくる。教科書には載っていないものが。模擬試験や志望大学の過去問題集などで知らない方程式などがあったので先生にこれらの知識を得るにはどうしたらいいかと聞いたところ予備校とか学習塾に行っている人から参考書などを借りて勉強するしかないと言われた。私は真に受けて予備校へ通っている奴に参考書と問題集を貸してくれと言ったが、誰も貸してくれるものはいなかった。当たり前だ。先公には落胆した。後で分かったが大学入試は予備校の先生が作っているものがある事。なにも知らなかった。知識情報格差を初めて感じた。

アルバイトで貯めた貯金が80万円あったので、情報処理の専門学校へ進学した。これからはコンピューターの時代だと思ったので。入学金から卒業までは200万円以上かかったが、アルバイトで何とかなった。学校が遠くて通学費が6か月5万円もかかった。
高校を卒業してからは夜の仕事で稼いでいた。キャバレーやクラブのボーイとかで時給が2000円以上貰えるところがあったから助かった。
2年間でCOBOLやFORTRANなどの言語を学んだ。学生のほとんどが大学受験に失敗して仕方なく専門学校へ来たようで、まじめに勉強している者が少なかった。その中で九州から来た人がいて学費を新聞配達で稼いでいた。いわゆる新聞奨学生だ。彼は真面目でよく勉強していたが1年もたなかった。新聞屋のオヤジが彼をこき使っていたらしい。良く愚痴を言っていた。朝刊夕刊の配達だけだったのに、やがて勧誘や集金などの業務も増やし配達先もどんどん増やされていったそうだ。学校も休まざるを得ないまでになっていたから酷すぎだ。
今ならブラックで訴えられているはず。

就職活動はよくした。その頃はバブル期へ向かう時だったから景気が良く、会社訪問をするたびにお車代として3000円から5000円をもらえた。
その中で唯一受かったところがNECの子会社だった。他の大手の企業はどこも相手にされなかった。みな大卒のみの求人だったから仕方がない。受かった会社は専門学校との関係があったので、数人を毎年その専門学校からとっていたみたいだ。運よくその数人の中に入る事ができた。

これまでが学生だった頃の話だが、すごく簡単にまとめてみた。
いろいろなエピソードなどを紹介したら、とんでもなく長くなるのでやめた。

特にアルバイトをしていた時のエピソードはたくさんあるので、また機会があれば詳しく書いていこうと思う。

次は、就職してからの事を書いてみたい。

人生の本番はまさに社会に出てからだと思う。
学生の頃とは違い、金が絡んでくるからだ。

いろんな会社でどんなことがあったかを書きたいと思っている。

騙されたり裏切られたり、人をワナにはめたり欺いたりといろいろな体験をしてきた。
悔しさで眠れなかった夜もあった。
うれしさで騒ぎまくった夜もあった。

全てが金のためだった。




☆彡    

はじめに

山空 50代  男  

友達はゼロ  無職

独身だが、主義ではない。結婚願望はあったができなかっただけ。

一人が好きすぎたのもいけない。

夢や希望はないが、あえて言うなら平凡に何事もなく静かに暮らしたい。


約20年サラリーマンをしていて、その後は非正規労働を数年。

40代後半に心臓の手術をする。

なんとか復活することができたが、体が大分弱くなってしまった。

療養後、たまにアルバイトやパートで働き収入を得ながら生活しようと考えたがうまくいかない。

田舎なので仕事がなかなか見つからないのが原因、ほとんど無職ニートと言っていい状態。

現状は貯金を取り崩し節約しながらの生活をしているが、内心では株で大儲けして遊びまくろうと野望を抱いている。

でも病気の事もあり、あとどのくらい生きられるか分からないのでビビりながら生きている。

家族には死ぬことなんて大したことはない誰だって何時かは死ぬんだからな。ハハハ!と威勢のいいことを言ってはいるものの体の調子が悪い時は、神様に全力で命乞いをしている小心者。

このブログもいつまで続けられることやら。

ブログが中断したらさようならだな。



あたたかいお気持ちがはげみになります。
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