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はじかれ人の呟き

社会からはじかれ、健康にもみはなされ、孤独を生きる。

カテゴリー "ノスタルジー" の記事

2009年のクソ野郎達

今からちょうど10年前の今頃。

必死になって仕事を探していた。

2007年の6月で仕事をやめて、その後父親が胃がんになり見舞いで11月まで病院へ通った。

そして2008年。やっとこ自分の時間ができたらもう働く気が起きなかった。

2008年は平日は株のトレードをやり、土日は方々の山を登っていた。

主に中央線沿線の山で高尾から笹子あたりの山を登っていた。

毎週必ずどこかの山を登っていた。

よく行ったのは、丹沢山や蛭ヶ岳、陣馬山から生藤山、滝子山も4回登った。

株のトレードはうまくいかず、損ばかりで数百万を失ったから失業手当があっという間に消えて行った。

そして10月にリーマンブラザースの倒産があり、景気が悪くなってきて焦り急いで仕事を探し始めた。

年が明け2009年になり、1月にやっとこ仕事が決まった。

運がよく2件目で決まったが、1件目はひどかった。

ハローワークで見つけた会社だが、面接をお願いしたところ夕方の5時過ぎに来てくれと言われ、雪の降る寒い中暗くなった道を20分もかけて歩いて行ったら、面接担当者が不在で30分待たされ、挙句に遅れてきた面接担当者は謝りもせず足を組み、たばこを吸い時々携帯電話で話をしたりして、明らかに採用なんて考えてはいなかった。

こっちも途中から諦めすぐに帰らせてもらった。

まったくあんな失礼な奴は初めてだった。いまだに奴の顔は忘れない。クソ野郎だ。

しかし中小企業には奴の様な面接官が多い。前の年に数社へ面接に行ったがほとんどがクソ野郎だったから。

そしてやっと決まった仕事は家電量販店の販売員だった。

面接官は礼儀正しい親切そうな人だった。年下だったが。

40人近くが面接へ来ていて、中には50代のおじさんもスーツを着て何人かいた。

受かったのは12人だった。おじさんたちは落とされてしまったようだ。

2月から仕事が始まったが、そこにもクソ野郎はいた。

店長と副店長だった。

店長は私らパートに向かって「この就職難の中、就職させてもらえたのだから死にものぐらいで働いてもらいたい。仕事時間中は休むことなく仕事をするように」と平気な顔で言ってきた。

頭にきた。たかだか時給950円で働かせておいて必死に働けとは、それに恩着せがましく言いやがってふざけるなと思った。

そして副店長には家電販売員の資格について聞いたところ、「そんなものとったってパートじゃ役に立ちませんよ。それにその歳じゃ社員は無理ですよ」と嫌な顔をして言われた。

パートをバカにした言い方だったので頭にきた。なにより私より年下なのにその口の利き方にも頭にきた。

こっちは資格を取れば時給も上がるし、もしかしたら社員にもなれるかもしれないと期待していたのに、まんまと希望も奪われた。

頭にきたが後々考えれば奴の言う通りだった。


今日は突然、10年前のクソ野郎達の事を思い出してしまい気分が悪くなってしまった。

早くクソ野郎達の事を忘れたいのだが、クソ野郎達の顔だけは10年経っても忘れる事ができない。

いい奴らの顔はすぐ忘れてしまうのに。

人間、記憶をコントロールすることはできないらしい。






☆彡    

御馳走とクリスマスケーキ

小学生の頃から社会人になるまで、うちではクリスマスケーキは母親が24日の日に持って帰ってきた。

そのケーキは母親が働く工場で支給されたもので、ケーキの飾りには必ずその工場の会社名がチョコレートに書かれていた。

それが我が家では当たり前の光景となった。

ケーキは直径が15センチほどのホールで小学生の時はそれがとてもうれしく、兄と切り分けながら大きい方を取ることに命懸けとなっていた。

しかし工場で支給されるものだけあってあまりおいしくはなく、スポンジケーキの部分は穴だらけの安ものだった。

ただその周りのホイップクリームとチョコレートがとても甘くておいしかった。

切り分けたケーキを大事に食べて、3日ぐらいかけて少しづつ食べて楽しんだ。

24日の夜は母親は工場のクリスマス会を兼ねた忘年会で夜8時にならないと帰ってこず、その日の夕食はいつもうちではカップラーメンだった。

だがそれがとてもうれしかった。

普段はカップラーメンなど高いからという事で買ってもらえなかったから余計にうれしかった。

父親と兄と私でよくカップヌードルのしょうゆ味を食べた。

スープまで残らず飲み干してとてもおいしかった。

カップラーメンなんて今では惨めな生活の代表だが、我が家にとっては素晴らしい御馳走だった。

そんな生活が高校生まで続いた。

今日はクリスマスイブだが、母親は工場を退職してもう20年が過ぎ、もう工場のクリスマスケーキは食べられなくなってしまった。

退職してからは私がクリスマスケーキを買って帰っていた。

仕事の付き合い上仕方なく買わされたものだったが、そういう事でもなければ買って帰るなんてことはしなかったと思う。

無職になった今はもうその行事も無くなり4年になる。

今日は散歩の帰りに車でスーパーへ行き、小さなロールケーキを3つ買ってきた。

ヤマザキのいちごロールケーキで1つ98円だった。

たまにはうちでもクリスマス気分を味わいたくなった。

午後3時のおやつに食べようと思う。

やはりクリスマスも少しは楽しんだ方がいい。

ちっぽけな安いケーキでも食べれば気分も楽しくなるはずだ。

頭の中ではジョンレノンのハッピークリスマスが流れはじめた。

    








☆彡    

サンタクロースは長い黒髪をなびかせていた

高校を卒業して専門学校へ通い始めた頃、平日の夜は飲み屋でアルバイトをしていた。

そこはクラブと呼ばれていて接客に若い女性がつく店だった。

初めは慣れない飲み屋でのアルバイトが嫌で仕方がなかったが、時給が1200円もらえたので我慢した。

仕事はトイレ掃除に始まり店の掃除、そしてボーイをした。18時から23時までの5時間。23時に終われば最終電車に間に合った。

まずは見習いを1か月ほどして仕事を覚え、2か月目からは一人でこなしていった。

アルバイトを始めて半年ほどたった頃、一人の女の子が新しく入ってきた。

その子は見た目が若く幼さも残っていたが、目の奥に暗い影があるような感じの子だった。

無口なため客の評判があまり良くなかった。


年末が近づいたクリスマスイブの夜、事件が起きた。

いつものように各テーブルの灰皿の取り換えや空いたグラスの回収などをしていた時に、キャーという悲鳴と共にグラスが割れる音がした。

その方向へ視線を移すと、声の主はあの暗い目の女の子だった。

女の子は立ち上がっていて隣には派手な赤と黒のセーターを着た男が何やら騒ぎ立てていた。

どうやら男がその子の胸を触り、それを嫌がって女の子が客の手を払ってしまいグラスが落ちて割れてしまったようだ。

客はひざに水割りをこぼしてしまい、それを怒っていた。

私はすぐにそのテーブルまで行き、お客に謝りお客のズボンを拭いた。

そしたらいきなり突き飛ばされてしまった。

「汚ねえタオルで拭くんじゃねえ!ガキが!」と怒鳴られた。

その後店長が来てお客に謝り料金をただにするという事で許してもらった。

女の子は私のところに来て「大丈夫?ごめんなさい」と言って頭を下げた。

その時の目は暗さよりも悲しみに溢れていた。

「ああ、大丈夫」と言って彼女を安心させた。

彼女はその間ずっとうつむいたままだった。長い黒髪が揺れていた。

その姿を見て何か声をかけなければと思い。「大丈夫だから。何も心配いらないから」と彼女を励ました。


その翌日の夜、店の準備をしていた時に彼女が店にやってきて店長となにやら話をしていた。

その後彼女が私のところへ来て言った。「わたし、この店をやめるの。お世話になりました」と。

私はその時、驚きのあまり何も言葉が出なくて「そうなの」としか答えられなかった。

彼女は「昨日はありがとう。じゃーね」と言うと大きなバッグを持って店を出て行こうとした。

私は見送ろうと店の外へ出た。

彼女は「それじゃ、行くね。バイバイ」と言うと手を振ってきた。

「ああ、バイバイ」と私も手を振り返ししばらく見送ろうとしたら、彼女が急に振り返り戻ってきて私の手に小さな箱を握らせた。

あまりに突然だったので私は頭にかぶっていたクリスマス用の三角の赤い帽子を落としてしまった。

呆気にとられる私を残して彼女は笑いながら手を振って駅の方へ歩いて行ってしまった。

その箱は緑のリボンがかけてありサンタクロースが描かれた包装紙に包まれていた。

開けてみると中には丸いチョコレートが2つ入っていた。手作りだった。

それが私の最初のクリスマスプレゼントになった。


店長から彼女の話を聞いた。

歳は17歳で高校へは行ってなく、中学を卒業してからはアルバイトをしながら生活していたそうだ。

新潟から来たと言っていた。

私はあの小学4年生の時から、暗い目をした無口な女の子に惹かれてしまう。

そういう子が困っているとすぐに助けるようになってしまった。

あの事件だって飲み屋では日常茶飯事で普段なら我関せずで通していたのに、あの子が困っていたから関わってしまった。

どことなく小学校の時に突然いなくなった女の子に似ているような気がしてしまったのもあった。


仕事が終わり外へ出るとまだ町にはクリスマスソングが流れていた。

その時はまた彼女に会えるかもしれないような気がしていたが、結局会えずじまいになってしまった。

でも自分にとって最初のクリスマスプレゼントをくれた彼女の事はいまだに忘れる事ができない。

小学生の時に突然いなくなった女の子と共にだ。

どこかで幸せになっていて欲しい。

彼女らが幸せになっていることが、私の幸せでもあるからだ。








☆彡