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はじかれ人の呟き

無職、独身、友達ナシ、低学歴、貧乏、障害アリ。社会からはじかれた男のブログ。

カテゴリー "妄想" の記事

引きこもり無職独身中年男の憂鬱

たまには家に籠っていないで散歩でもしてみるかと考えて外の様子を伺った。

引きこもりは常に家の周りが気になるのだ。

もし迂闊に外に飛び出して近所の人にでもあったら大変だ。

それも月曜日で昼間なのに

もしばったり会ってしまったら 「あらっ! この人は確か○○さんちの息子さんよね。なんで平日の昼間にぶらぶらしているのかしら?もしかして無職の引きこもりなんじゃないの?いや~ね!それにいい歳をして独身中年オヤジよ。キモイ~~」 なんて思われかねない。

そんな事を思われるのは嫌だ。

絶対に会ってはいけない。平日の昼間の外出は特に注意が必要だ。

改めて窓から外を眺めた。

そしたら家から30メートルほど離れたところで電気の工事をやっていた。

働いている人が4人いた。

くそっ!これじゃ出られないじゃないか。

どうしてもあの工事現場の横を通らなくては散歩へはいけない。

もし迂闊にそこを通ってしまえば今度は「あれっ!月曜日ですよ。仕事へ行かないんですか?もしかして無職中年引きこもりですか?」なんて聞かれてしまうかもしれない。

あぶないあぶない!

無職独身中年引きこもりオヤジは常に外部の人とのかかわりには気をつけなくてはいけないのだ。

「しょうがないな。終わったら散歩へ出かけよう」と思って待っていたら夕方の4時になってしまった。

もう出かける気力がなくなってしまった。

せっかくたまには平日の散歩を楽しみたかったのに残念だ。

引きこもり無職独身中年男には外出するのも一苦労だとつくづく感じた一日だった。








もしかして精神をやられているのかもしれないな …… _| ̄|○












☆彡    

妬ましい・・・でも


オリンピックなんて興味がなかったが、こうも毎日テレビでやられるとつい見てしまう。
羽生結弦選手や小平選手が金メダルを取り、テレビをどのチャンネルに合わせてもやっている。
私もテレビの影響で興味を持ってしまい生でそれらの選手が出ていた競技を見てしまった。
確かに素晴らしい演技だったり、滑りをしていて心が躍り感動した。

見てよかったなと思った。
応援することによって楽しくなり、そして金メダルを取ったことで心からおめでとうとも言いたくもなった。
しかし、しばらく時間が経つと今度は、彼らの事がうらやましく、そして妬ましく思えてきてしまった。

あんなにみんなから応援されたり喜ばれたりして羨ましいと思ったのと、今の自分の現状と比較してしまったためだと思う。
彼らは金メダルを取るために4年間毎日練習に励み精進してきた。
それに比べ自分は、4年間ただぶらぶらしていて、ろくな仕事にもついていなかった。
目指すものもなく努力することすらなかった。
ただ時間に流されるだけの日々だった。
そして今だって大したことはしていない、内職生活だけだ。
でも職探しだけは、かなり頑張ったつもりなのだが、こうなってしまった。

この歳まで人を感動させるようなことはなかった。
何かに夢中になり努力したことはあったが、そんな事は誰も知らないし知ったところで誰も感動なんてしない。
ただの独りよがりだ。
なんか虚しい人生だったな!と思ってしまった。

せめて一つの仕事をずっとやり続けていられたら、それを誇りにもできただろうに、それすら許されなかった。
会社が潰れてはどうしようもなかったし、その後も同じ仕事には縁がなかったから仕方がない。

しばらくそんな事を考えていたのだが、羨ましいとか妬ましいとか思うのは、まだ何かオレにもできるはずだ!なんて気持ちが心のどこかにあるのでは?と思った。
そうでなければ、悔しさなんて現れないはずなのだ。

でも、もういい加減あきらめて人を純粋な気持ちのみで応援するだけだっていじゃないかとも思う。
そっちの方が気持ち的には楽な事は確かだ。
悔しい気持ちや妬みなど失くし、人と比べることなく生きていくのもいいのではないかと。
自分のスペックを素直に受け止めてそれなりに生きていく方がいい。
逆らわず流されずに!
今はそう思うようになった。

もう何年も前の話だが、帰りの電車の中で隣にいた二人のおじさんの会話を思い出した。
そのおじさんたちは、50代ぐらいでともにジャンパー姿だった。
仕事帰りで、大分疲れていたように見えた。
そして一人のおじさんが隣のおじさんに話しかけた。
「昨日のオリンピック見たか。すごかったな。メダル取ってよ。感動したよな」
その時は夏のオリンピックの最中だった。
そして話しかけられたもう一人のおじさんが答えた。
「そんなもの見てねえよ。人がメダルを取ろうが俺には関係ねえよ」
「そうか。良かったぜ。ワクワクさせられたよ」
そうすると話しかけられたおじさんがこう言った。
「おめーな!いくらワクワクしようが感動しようがよ、俺達には一銭も金は入ってこねえんだぜ。また明日も朝から立ちんぼするしかねえんだよ。まったくよ。オリンピックなんて俺達には関係ねえよ」
「まあ、それもそうだな。一銭にもなりゃしねえな。また明日も朝から立ちんぼだしな。でもよ、ただで感動できるんだぜ!それによ何故か元気が湧いてくるんだよ」
「お前はおめでたい奴だな」
「そうかい。でも良かったんだけどな」
それからは何一つ会話することはなかった。
会話から彼らが警備員であることが想像できた。

確かにいくら感動しようが何一つ手に入らないし、今の生活も良くはならない。
自分も当時まったく同じ考えだった。
しかし、今は少し違ってきた。
話しかけていたおじさんの気持ちが分かってきたからだ。
ただ見ているだけで感動させてもらっているのだ!
それに何故か不思議だが元気も勇気もわいてくる気がする。
そんな風にオリンピックは見るべきなんだと思った。

たとえそれが一瞬の幻だろうと記憶には残る。何かのきっかけにもなるかもしれない。
そんな事を考えていたら日が暮れてきた。

☆彡    

何で生きてるんだろう...


中学生の時から考えるようになった。
「なんで生きているのか?生きる意味とはなんだ」
時々思い出しては考えてしまう。

二十歳から会社員として働き始め、勤めていた会社が潰れた頃までは、あまりそのような事は考えなくなっていた。
しかし非正規で働くようになった40代前半からまた、たまにだが考えるようになってしまった。

そんな事を考えてもどうしようもないのだが、たまに頭に浮かんでしまう。
「生きる意味」なんか誰にも分からない事なのだ。
それを説明できる人間がいるとしたら、カルト宗教とか洗脳セミナーなどの主催者達だろうと思う。
そんな事は説明できるはずがない。

ただ生物学的に言えば、子孫繁栄のためだろう。
しかし独身なのでそれすら当てはまらない。
一応は私も生き物なので、若い時は結婚して子供をつくろうと思った。
しかし相手も見つからずふられてばかりいたので独身なのだ。
それを考えれば、私も子孫繁栄に貢献しようと努力していたので立派な生き物だと思う。
ただ相手にされなかった、いわば生き物失格者なのかもしれない。

それではなんで生き続けているのか?
単に死ねないし、まだ死にたくはないからだ。
大したこともしていないのに、時給800円のパートなのに生き続けている。
仕方がない、腹が減れば飯が食べたくなるし、眠くなればベッドで眠りたいからだ。
ただ今現在の欲求を満たしながら生きている。

最近では「生きる意味」を深く考えなくなってきている。
今が程々幸せだからだ。
飯を食うのも自由だし、眠るのも自由だからだ。別に他で何かやりたいわけでもないので、一応は欲求が満たされているのだろう。

日本においてほとんどの人が私のように生活していると思う。
程々満たされていて幸せなのだ。
もしそれが実感できない人がいるとすれば、何かしら欲求が満たされていない人なのだと思う。
いい会社でいい給料が欲しい。
楽に稼ぎたい。
いい家に住みたい。
いい車に乗りたい。
奇麗またはかわいい女の子と付き合いたい、結婚したい。
かわいい子供が欲しい。
成功者となって大金持ちになりたい。
社会で評価され有名になりたい。
ノーベル賞を取りたい。
金メダルを取りたい。
あげればきりがない。

しかし私にはそのような欲求がない。
それもむなしい話だが、事実なのだから仕方ない。ではなぜ今、時給800円で働いているのだろうか?
それは、来るか来ないかさえ分からない未来のために貯金をするために働いている。
そう考えるとバカバカしくなる。いっその事、ニートになればいいのだが、それだって親が永久に生きているわけでもないので無理な話だ。
だから、一人になった時でも生きていけるように働いて貯金しているのだ。
いつ死ぬかも分からない体で。

今日も暇になった時、窓から空を眺めていたら、トンビが2羽飛んでいた。
気ままに空を飛べていいな!なんて昔は思っていたが、とんびの生態番組を見てからはそうは思わなくなった。
必死なのだ!餌を探しているのだ。彼らは彼女らは餌を探して飛び回っているのだ。
気楽何て私が考えているだけの事だった。
生きるために、必死で1日中飛び回っている。餌が見つからなければ飢え死にするのだ。

とんびたちは、「生きる意味」など考えてる暇なんてない。
食べなければ腹が減って死ぬしかない。
それを考えれば、「生きる意味」など考える事すら意味がない。
人間だって食べられない時に、そんな事は考えないはずだ。
先ずは食う事を考えるだろう。

結局私は、贅沢な生活をしているから「生きる意味」とは何て考えてしまうのだと思った。
食べることに不自由さを感じていないから、そんなぜいたくな悩みを持ってしまうのだろう。
生きる事つまり食べる事に必死になれば、そんな悩みは消し飛んでしまうはずだ。

もう考えない様にしようと思う。時間の無駄だ。それを考えるのなら今後為すべき事を探したほうがいい。
そっちの方がためになる。

☆彡