はじかれ人の呟き

社会からはじかれ、健康にも見放され、孤独を生きる。

カテゴリー "ノスタルジー" の記事

ガガガガガガガ

昨日NHKでゴールデンボンバーが歌っていた。

いい曲だった。

密かに応援している。

そしてドラマも「トクサツガガガ」。

ドラマも最初からずっと見ている。

おもしろい。

小芝風花ちゃん演じる叶の気持ちが良く分かる。

オタクは理解されない。

中学生だった頃、宇宙戦艦ヤマトにハマっていたが、みんなには内緒にしていた。

バレたら何を言われてしまうかと恐れていたから

しかしある日カバンの中にあった宇宙戦艦ヤマトの絵を教室で落としてしまいオタクがバレた。

それを見た女子に引かれてしまったことがある。

ショックだった。

その時はそれだけで済んだから良かった。

それからまた30歳を迎えた頃、また宇宙戦艦ヤマトのブームが来てしまいコーラのおまけでフィギュアがついていたことがあってまたヤマトを集めてしまった。

今もたまにネットで検索していると偶然宇宙戦艦ヤマトの超合金モデルなどが出てしまう時に欲しくなってしまう事がある。

オタクは永遠に続くのだろうか。

今も誰にもこのことは秘密にしている。



それとキャプテンハーロックも好きだ。

昨年はアルカディア号のプラモデルを買うかどうか迷ったが作るのが面倒なのでやめた。











☆彡    

2009年のクソ野郎達

今からちょうど10年前の今頃。

必死になって仕事を探していた。

2007年の6月で仕事をやめて、その後父親が胃がんになり見舞いで11月まで病院へ通った。

そして2008年。やっとこ自分の時間ができたらもう働く気が起きなかった。

2008年は平日は株のトレードをやり、土日は方々の山を登っていた。

主に中央線沿線の山で高尾から笹子あたりの山を登っていた。

毎週必ずどこかの山を登っていた。

よく行ったのは、丹沢山や蛭ヶ岳、陣馬山から生藤山、滝子山も4回登った。

株のトレードはうまくいかず、損ばかりで数百万を失ったから失業手当があっという間に消えて行った。

そして10月にリーマンブラザースの倒産があり、景気が悪くなってきて焦り急いで仕事を探し始めた。

年が明け2009年になり、1月にやっとこ仕事が決まった。

運がよく2件目で決まったが、1件目はひどかった。

ハローワークで見つけた会社だが、面接をお願いしたところ夕方の5時過ぎに来てくれと言われ、雪の降る寒い中暗くなった道を20分もかけて歩いて行ったら、面接担当者が不在で30分待たされ、挙句に遅れてきた面接担当者は謝りもせず足を組み、たばこを吸い時々携帯電話で話をしたりして、明らかに採用なんて考えてはいなかった。

こっちも途中から諦めすぐに帰らせてもらった。

まったくあんな失礼な奴は初めてだった。いまだに奴の顔は忘れない。クソ野郎だ。

しかし中小企業には奴の様な面接官が多い。前の年に数社へ面接に行ったがほとんどがクソ野郎だったから。

そしてやっと決まった仕事は家電量販店の販売員だった。

面接官は礼儀正しい親切そうな人だった。年下だったが。

40人近くが面接へ来ていて、中には50代のおじさんもスーツを着て何人かいた。

受かったのは12人だった。おじさんたちは落とされてしまったようだ。

2月から仕事が始まったが、そこにもクソ野郎はいた。

店長と副店長だった。

店長は私らパートに向かって「この就職難の中、就職させてもらえたのだから死にものぐらいで働いてもらいたい。仕事時間中は休むことなく仕事をするように」と平気な顔で言ってきた。

頭にきた。たかだか時給950円で働かせておいて必死に働けとは、それに恩着せがましく言いやがってふざけるなと思った。

そして副店長には家電販売員の資格について聞いたところ、「そんなものとったってパートじゃ役に立ちませんよ。それにその歳じゃ社員は無理ですよ」と嫌な顔をして言われた。

パートをバカにした言い方だったので頭にきた。なにより私より年下なのにその口の利き方にも頭にきた。

こっちは資格を取れば時給も上がるし、もしかしたら社員にもなれるかもしれないと期待していたのに、まんまと希望も奪われた。

頭にきたが後々考えれば奴の言う通りだった。


今日は突然、10年前のクソ野郎達の事を思い出してしまい気分が悪くなってしまった。

早くクソ野郎達の事を忘れたいのだが、クソ野郎達の顔だけは10年経っても忘れる事ができない。

いい奴らの顔はすぐ忘れてしまうのに。

人間、記憶をコントロールすることはできないらしい。






☆彡    

御馳走とクリスマスケーキ

小学生の頃から社会人になるまで、うちではクリスマスケーキは母親が24日の日に持って帰ってきた。

そのケーキは母親が働く工場で支給されたもので、ケーキの飾りには必ずその工場の会社名がチョコレートに書かれていた。

それが我が家では当たり前の光景となった。

ケーキは直径が15センチほどのホールで小学生の時はそれがとてもうれしく、兄と切り分けながら大きい方を取ることに命懸けとなっていた。

しかし工場で支給されるものだけあってあまりおいしくはなく、スポンジケーキの部分は穴だらけの安ものだった。

ただその周りのホイップクリームとチョコレートがとても甘くておいしかった。

切り分けたケーキを大事に食べて、3日ぐらいかけて少しづつ食べて楽しんだ。

24日の夜は母親は工場のクリスマス会を兼ねた忘年会で夜8時にならないと帰ってこず、その日の夕食はいつもうちではカップラーメンだった。

だがそれがとてもうれしかった。

普段はカップラーメンなど高いからという事で買ってもらえなかったから余計にうれしかった。

父親と兄と私でよくカップヌードルのしょうゆ味を食べた。

スープまで残らず飲み干してとてもおいしかった。

カップラーメンなんて今では惨めな生活の代表だが、我が家にとっては素晴らしい御馳走だった。

そんな生活が高校生まで続いた。

今日はクリスマスイブだが、母親は工場を退職してもう20年が過ぎ、もう工場のクリスマスケーキは食べられなくなってしまった。

退職してからは私がクリスマスケーキを買って帰っていた。

仕事の付き合い上仕方なく買わされたものだったが、そういう事でもなければ買って帰るなんてことはしなかったと思う。

無職になった今はもうその行事も無くなり4年になる。

今日は散歩の帰りに車でスーパーへ行き、小さなロールケーキを3つ買ってきた。

ヤマザキのいちごロールケーキで1つ98円だった。

たまにはうちでもクリスマス気分を味わいたくなった。

午後3時のおやつに食べようと思う。

やはりクリスマスも少しは楽しんだ方がいい。

ちっぽけな安いケーキでも食べれば気分も楽しくなるはずだ。

頭の中ではジョンレノンのハッピークリスマスが流れはじめた。

    








☆彡